空の色、夢の中。

また今日と同じ今日が来る

お誕生日おめでとう。

 

 

彼に向ける基本的な気持ちは「悔しい」です。なんであんな人を好きなんだろう、ゲームばっかりやっててケチでうるさくて冷たくて塩対応で先輩への対応は正解とは思えない、どうしてあんな人を好きになってしまったんだろう。それなのにどうしてあの人はあんなに魅力的で何でもこなせてかっこいいんだろう。悔しい、悔しい。どこまでも悔しい。そんな気持ちを抱えてここにいます。嵐という存在に出会ったときかもしれない、コンサートに行ったときかもしれない。いつから彼を好きになったのか分からないけれど、大野さんに出会って初めてバラエティー番組を見た時から、歌番組を見た時からの感情なのだと思う。ずるい、ずるい。ことごとく心を奪っていくのが悔しくてたまらない。

 

 

うん、ごめんね。貶しているわけじゃないの、最大限の愛を込めて言ってるから、そう言わないとたぶんどこまでも甘くてかっこいいってばかり言ってて本当に周りも見えずに本気で惚れちゃいそうだから、許してね。

 

 

どんな洋服を着てもちょっとだぼっとしているような、袖の長さが萌え袖になってしまうような細さが 男性的とは決して言えないようなところ。持ったら折れてしまいそうな細い手首。すぐ赤くなる耳。動物的な口角の上がる唇。こうやって並べると我ながら気持ち悪いと思うけれど、いわゆるアイドルという感じが多すぎないのが心地いい。彼は正真正銘アイドルだけど。

 

 

一歩引いて俯瞰的に物事を見ているあなたが、楽しくてたまにその中に飲み込まれちゃうきみがすきだ。さみしさと哀しさを抱え込んでそれでも笑う、そんな場面が似合うきみがすきだ。

 

 

その「言葉」の刃物の鋭さを、残酷さを隠さないあなたがすきだ。

 

 

にのみやさんの言葉は優しくない。少なくとも弱虫な自分には、正直耳をふさぎたくなるような言葉が連載で毎月降ってきたりする。その根底にはあのひと自身が持って生まれたある意味での優しさが含まれてるのは知ってる。だけど、その言葉は正直で、時に残酷で、無残にも心を刺してずたずたに傷つけていく。にのみやさんは正しく理解されようと思って言葉を紡いではいないのだと思う。自分が言いたいように、使いたい表現を使うために、自分が持ち合わせた語彙のほんの何%かを使って言葉をつなぐ。それは翔さんと一部共通していて、でも対照的だと思う。

 

だから、いつも思う。「あまり笑わなくてすれ違いざまにちょっと切れ味が悪く見える刃物を取り出して傷つけていくようなあの人」が好きだと。でも鋭利な刃物なの、切れ味が悪そうに見えるのはただの見せかけ。それで、すれ違ったあとに「どう?」ってにこりと笑って手当てをしてくれるような人だと。多くは説明しないし、そこに意図があれば別だろうけど基本的に解釈を適切にこちら側に伝えようという意思はあまり感じられない。でもそれは極端に難しい言葉を使っているわけではないし、それを話す場所の敷居が高いわけでもない。だけどその言葉たちは、確実に心臓を掠めていく。どこかに傷跡をつくる。でも、それで置いて行っちゃうような人じゃない、そのあとの、根底の優しさや温かさが生きてる。

 

 

悔しい。それでなくてもアイドルとしても、俳優のお仕事をしているときも、魅力的で苦しいくらいなのに。彼から出てくる言葉がこんなに好きで仕方なかったら絶対に敵わない。

 

 

「変わってるし成長してるんだけどそれでも変わらないあの人がそこにいて安心したし毎回裏切らず心を引っ掻き回して傷つけて色んな感情を突き刺して だけどそれがあの人だとやっぱり腑に落ちる、そんな一万字でした」「傷つけられれば傷つけられるほどもっと知りたい、でも知りたくない、知らない方がいい、でもやっぱり傷つくと分かっていたって知りたいってことを繰り返すんだろうな」とつぶやいていた通り、きっと二宮さんがつける/つけようとする「傷」が、自分の無力さや不甲斐なさ、現実を突きつけられて正直苦しいけれど、でもそれが背中を押してくれて、根底に優しさがあることがわかるから、それが好きなんだろうなと今は思う。今にのみやさんが好きな理由は自分勝手なそんなこと。許してね、あなたが進む道の邪魔なんてしないから。

 

 

 

 長々と自分本位なことを書いてしまったけれど。

 

 

二宮さん、34歳のお誕生日おめでとうございます。どうかお身体には十分お気をつけて、あなたが幸せだと思える日々を送ってくれたら幸せです。願うならば、その活躍する景色の隅に1年に何回かだけでも一緒に入れてもらえたらいいなぁ、という本音も言っておくね。

 

 

本当に、おめでとう。自分の道を、あの4人とともに進んでいってください。

 

 

大好きです。いつもありがとう。